2011年7月27日水曜日

智を裏うちする情

現代[いま]は人情蔑視の時代であるから、人間という生きものは情智ともにそなわってこそ〔人〕となるべきことを忘れかけている。情の裏うちなくしては智性おのずから鈍磨することにきづかなくなってきつつあるが、約二百年前のそのころは、この一事、あらためて筆舌にのぼせるまでもなく、上流下流それぞれの生活環境において生き生きと、しかもさりげなく実践されていたものなのである。(池波正太郎『鬼平犯科帳1』97頁)

まことに​見(み)よ、あなた​に​降(くだ)って​あなた​の​心(こころ)​の​中(なか)​に​とどまる​​①聖霊(せいれい)​に​よって、わたし​は​あなた​の​思(おも)い​と​あなた​の心(こころ)​に告(つ)げよう。(『教義と聖約』8章2節)

智と情、思いと心、mind and heart
どちらかだけが重くなったり、大きくなってもおかしなことになる。
どっちかを差し挟んではいけない場面もあるけど、
基本的にはいつも両方の要素が見え隠れしてこそ人間だし、
この2つのバランスをとろうとすることが大事なんだよね。

テレビの時代劇だけを見てたら、勧善懲悪の公式しか見えない単なる娯楽劇だけど、
池波さんの原作は、人間と社会に対する現実を映し出し、鋭い示唆が随所に。


鬼平犯科帳〈1〉 (文春文庫)


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